2015年07月28日
団塊の秋 堺屋太一著 祥伝社
「団塊の世代」は堺屋太一が1976年に書いた小説の題名で、第1次ベビーブーマーの世代を言い得て妙な造語であった。
今や団塊の世代が社会の第一線をリタイヤし、新たな社会問題化している。
「団塊の秋」は団塊の世代がさらに2015年から2028年の近未来に遭遇するであろうさまざまな事象を統計データを駆使して描いている。
若いころにアメリカ、カナダをツアー旅行した7人の人生を描いている。
官僚、政治家、新聞記者、建設業者、高校教師、商社、銀行マンで、それぞれが日本の栄枯盛衰を代表した生き方をしている。
2028年は今から見て、13年後である。小説では再生可能エネルギーを用いて、事業が起こせる明るい未来が描かれている。果たしてそうなるか。
今や団塊の世代が社会の第一線をリタイヤし、新たな社会問題化している。
「団塊の秋」は団塊の世代がさらに2015年から2028年の近未来に遭遇するであろうさまざまな事象を統計データを駆使して描いている。
若いころにアメリカ、カナダをツアー旅行した7人の人生を描いている。
官僚、政治家、新聞記者、建設業者、高校教師、商社、銀行マンで、それぞれが日本の栄枯盛衰を代表した生き方をしている。
2028年は今から見て、13年後である。小説では再生可能エネルギーを用いて、事業が起こせる明るい未来が描かれている。果たしてそうなるか。
2015年07月27日
ロシア旅行
世界に四大美術館・博物館というものがあるそうだ。
メトロポリタン美術館、ルーブル美術館、故宮博物館(台北か北京かは意見が分かれる)、それにエルミタージュ美術館というのが、大方の見方である。私的にはプラド美術館、ウフィツィ美術館、大英博物館なども入れてよいように思う。世界十大美術館・博物館位に収めるのがよいと思う。
一度見たと思っていたエルミタージュ美術館を見に行ってきた。例によって阪急交通社のツアーであるから、強行スケジュールである。かねてから高齢者の参加者がツアーについていけない姿を見ていたが、とうとうその高齢者の列に加わる年齢となったようだ。かなりきつい旅行となった。
飛行機でろくに寝られないままに1時ころホテルに入った。その朝からエルミタージュ美術館見学だ。印象派を中心とした新館をまず見る。モネー、ルノアール、ゴッホ、ゴーギャンなど一通りの作品がそろっている。しかも観客が少ない。ここは穴場である。時間の関係で見ることができなかったが、マチスやピカソにもよい作品があるようだ。しかもおおらかなことにフラッシュをたかない限り、カメラもビデオも撮影自由である。以前は撮影には撮影料を取っていたようだが、それは廃止になっていた。ガイドのアレキサンドロさんにいわせると、ロシア人は人懐っこくて、おおらかな国民性であるという。冷戦時代ソ連は西側諸国にとって敵国であった。西側に加担する日本もソ連を仮想敵国とし、対処してきた。それはペレストロイカ以降のロシアに対しても引き継がれている。プーチン大統領のウクライナに対するやり方をみると、やはりロシアになっても、ソ連的体質は変わっていないように思う。
午後から本館のエルミタージュ美術館を見る。こちらは大人気で個人で普通に見ようとすると、長蛇の列に並ばなければならないが、そこは団体旅行のよい点で、団体入り口からすんなり入ることができた。ここでは4時間あまりを予定していたが、ガイドの後をついて回利、迷子にならないようにすることに精一杯であった。それでも見所はほとんど見ることができた。
一言でエルミタージュ美術館といっても、冬宮を中心に、小エルミタージュ、大エルミタージュ、新エルミタージュなどの建物群からなる。
孔雀石の間、玉座の間、大使の階段など見るべき部屋を通って、イタリア、スペイン、オランダなどの有名画家(レオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロ、ルーベンス、レンブラント、エルグレコ、ヴェラスケス、など)の作品をみる。ミケランジェロの彫刻も一点あった。
これを大勢の観客を押し分けながら見るのであるから大変だ。最後に金を中心とした宝石の間を見て、エルミタージュ美術館を後にした。
気になるのは、美術館が空調を配慮してなく、窓を開けて換気をしていたことだ。一枚数億円もするような名画の管理としてははなはだ配慮が無さ過ぎるのではないか。またアレキサンドロさんも行っていたが、倉庫に貯蔵されている芸術品の管理もお粗末で、ねずみの害にてこずっているようだ。対策が猫をかうことだというから、あきれてしまう。ビデオ、カメラで自由に撮れるのはいいが、フラッシュの規制がゆるく、作品の損傷が気になる。
翌日はサンクトペテロブルグ近郊の宮殿、庭園を見る。エカテリーナ宮殿とピョートル大帝の離宮の庭園ペテルゴフである。前者は琥珀の間で有名で、ここはナチスに略奪された琥珀の間を再現したものとして、テレビでも大きく採り上げられた。ここだけは写真撮影禁止である。大黒屋光太夫がエカテリナ女帝に謁見を許された宮殿として、日本人にもなじみがある。
ペテルゴフは噴水で有名で、役150ある噴水はすべて自然落下によっている。ヴェルサイユ宮殿の庭を見てピョートル大帝が作庭を思い立ったというが、噴水の迫力はヴェルサイユ宮殿を上回る。天気がよく、太陽光に噴水の光の輝きが映えて、すばらしい光景であった。
3日目は午前中ロシア美術館を見てモスクワに向かう。
ロシア美術館は数々のイコンと近代ロシア美術の宝庫であるが、ここも見学時間が2時間あまり歩きっぱなしで、ほとほと疲れた。
サンクトペテルブルグ―モスクワ間は特急で4時間半だが、途中の景色は原野で、牧畜を営む農家も見当たらない。
4日目は赤の広場を中心にモスクワ見物をする。観光客でいっぱいで、気温33度の中で、汗だくになりながら見物する。この日のハイライトはクレムリン武器庫、ダイヤモンド庫で、ロマノフ王朝の贅を尽くした財宝の数々を見せ付けられた。この財宝がある限り、ロシア財政は安泰であると思われた。
夜はサーカスを見物した。本場のサーカスだけあって、トラとライオンの曲芸は一見に値する。
5日目は午前中トロイツェ・セルギュフ大修道院を見る。
約8時間半のフライトで仁川空港に帰る。日本への飛行機の関係で、ソウル観光が組み入れられていた。例のマーズ騒動でソウルの観光客が激減しているという。明洞を歩いたがほとんど日本人を見かけなかった。たまに見かけると一様にマスクをかけて歩いていて異様な光景であった。韓国人はまったく意に介していないというのに・・・・・。ソウルも33度を越えていて、暑かった。異常気象である。
仁川から新千歳空港まで3時間。一番近い国が、話し合いができない。これも異常である。
同行の日本人がオミヤゲヤデ、キムチを買った。液体物との判断で機内持ち込みはできないが、同行貨物として日本に送ろうとしたところ、7000円かかるという。しかたがないので、おみやげやにガイドを通して返品することにした。代表的韓国みやげに対して大韓航空の対応はいかがかと思う。もちろんカバンの中に厳重梱包していれて持ち込むことは可能なようであるが、カバンはモスクワから日本に直行するようになっているため、このような事件となった。て、おいしいものは無かった。もちろん安いツアーでおいしいものを食べようというのが間違っているであろうが・・・・。
大韓航空といえば、モスクワで早めに空港に着いたため、カバンを並べて受付開始を待っていたところ、後から来た韓国人ツアーが並ばないのはケシカランと、大韓航空に噛み付いた。大韓航空の対応は5つある窓口を2箇所は日本人客、残り3箇所は韓国人客と分けてチェックイン手続きを開始し、無事収めた。
この大韓航空の対応はすばらしいと思うと同時につまらぬことで、日本人に噛み付く韓国人のけんか腰の態度にあきれてものが言えない。こと日本人に対しては正常な議論のできない国になっているように思える。
ロシア料理は体調が悪かった精も合って、おいしいものは無かった。もちろん安いツアーでおいしいものを食べようというのが間違っているであろうが・・・・。


メトロポリタン美術館、ルーブル美術館、故宮博物館(台北か北京かは意見が分かれる)、それにエルミタージュ美術館というのが、大方の見方である。私的にはプラド美術館、ウフィツィ美術館、大英博物館なども入れてよいように思う。世界十大美術館・博物館位に収めるのがよいと思う。
一度見たと思っていたエルミタージュ美術館を見に行ってきた。例によって阪急交通社のツアーであるから、強行スケジュールである。かねてから高齢者の参加者がツアーについていけない姿を見ていたが、とうとうその高齢者の列に加わる年齢となったようだ。かなりきつい旅行となった。
飛行機でろくに寝られないままに1時ころホテルに入った。その朝からエルミタージュ美術館見学だ。印象派を中心とした新館をまず見る。モネー、ルノアール、ゴッホ、ゴーギャンなど一通りの作品がそろっている。しかも観客が少ない。ここは穴場である。時間の関係で見ることができなかったが、マチスやピカソにもよい作品があるようだ。しかもおおらかなことにフラッシュをたかない限り、カメラもビデオも撮影自由である。以前は撮影には撮影料を取っていたようだが、それは廃止になっていた。ガイドのアレキサンドロさんにいわせると、ロシア人は人懐っこくて、おおらかな国民性であるという。冷戦時代ソ連は西側諸国にとって敵国であった。西側に加担する日本もソ連を仮想敵国とし、対処してきた。それはペレストロイカ以降のロシアに対しても引き継がれている。プーチン大統領のウクライナに対するやり方をみると、やはりロシアになっても、ソ連的体質は変わっていないように思う。
午後から本館のエルミタージュ美術館を見る。こちらは大人気で個人で普通に見ようとすると、長蛇の列に並ばなければならないが、そこは団体旅行のよい点で、団体入り口からすんなり入ることができた。ここでは4時間あまりを予定していたが、ガイドの後をついて回利、迷子にならないようにすることに精一杯であった。それでも見所はほとんど見ることができた。
一言でエルミタージュ美術館といっても、冬宮を中心に、小エルミタージュ、大エルミタージュ、新エルミタージュなどの建物群からなる。
孔雀石の間、玉座の間、大使の階段など見るべき部屋を通って、イタリア、スペイン、オランダなどの有名画家(レオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロ、ルーベンス、レンブラント、エルグレコ、ヴェラスケス、など)の作品をみる。ミケランジェロの彫刻も一点あった。
これを大勢の観客を押し分けながら見るのであるから大変だ。最後に金を中心とした宝石の間を見て、エルミタージュ美術館を後にした。
気になるのは、美術館が空調を配慮してなく、窓を開けて換気をしていたことだ。一枚数億円もするような名画の管理としてははなはだ配慮が無さ過ぎるのではないか。またアレキサンドロさんも行っていたが、倉庫に貯蔵されている芸術品の管理もお粗末で、ねずみの害にてこずっているようだ。対策が猫をかうことだというから、あきれてしまう。ビデオ、カメラで自由に撮れるのはいいが、フラッシュの規制がゆるく、作品の損傷が気になる。
翌日はサンクトペテロブルグ近郊の宮殿、庭園を見る。エカテリーナ宮殿とピョートル大帝の離宮の庭園ペテルゴフである。前者は琥珀の間で有名で、ここはナチスに略奪された琥珀の間を再現したものとして、テレビでも大きく採り上げられた。ここだけは写真撮影禁止である。大黒屋光太夫がエカテリナ女帝に謁見を許された宮殿として、日本人にもなじみがある。
ペテルゴフは噴水で有名で、役150ある噴水はすべて自然落下によっている。ヴェルサイユ宮殿の庭を見てピョートル大帝が作庭を思い立ったというが、噴水の迫力はヴェルサイユ宮殿を上回る。天気がよく、太陽光に噴水の光の輝きが映えて、すばらしい光景であった。
3日目は午前中ロシア美術館を見てモスクワに向かう。
ロシア美術館は数々のイコンと近代ロシア美術の宝庫であるが、ここも見学時間が2時間あまり歩きっぱなしで、ほとほと疲れた。
サンクトペテルブルグ―モスクワ間は特急で4時間半だが、途中の景色は原野で、牧畜を営む農家も見当たらない。
4日目は赤の広場を中心にモスクワ見物をする。観光客でいっぱいで、気温33度の中で、汗だくになりながら見物する。この日のハイライトはクレムリン武器庫、ダイヤモンド庫で、ロマノフ王朝の贅を尽くした財宝の数々を見せ付けられた。この財宝がある限り、ロシア財政は安泰であると思われた。
夜はサーカスを見物した。本場のサーカスだけあって、トラとライオンの曲芸は一見に値する。
5日目は午前中トロイツェ・セルギュフ大修道院を見る。
約8時間半のフライトで仁川空港に帰る。日本への飛行機の関係で、ソウル観光が組み入れられていた。例のマーズ騒動でソウルの観光客が激減しているという。明洞を歩いたがほとんど日本人を見かけなかった。たまに見かけると一様にマスクをかけて歩いていて異様な光景であった。韓国人はまったく意に介していないというのに・・・・・。ソウルも33度を越えていて、暑かった。異常気象である。
仁川から新千歳空港まで3時間。一番近い国が、話し合いができない。これも異常である。
同行の日本人がオミヤゲヤデ、キムチを買った。液体物との判断で機内持ち込みはできないが、同行貨物として日本に送ろうとしたところ、7000円かかるという。しかたがないので、おみやげやにガイドを通して返品することにした。代表的韓国みやげに対して大韓航空の対応はいかがかと思う。もちろんカバンの中に厳重梱包していれて持ち込むことは可能なようであるが、カバンはモスクワから日本に直行するようになっているため、このような事件となった。て、おいしいものは無かった。もちろん安いツアーでおいしいものを食べようというのが間違っているであろうが・・・・。
大韓航空といえば、モスクワで早めに空港に着いたため、カバンを並べて受付開始を待っていたところ、後から来た韓国人ツアーが並ばないのはケシカランと、大韓航空に噛み付いた。大韓航空の対応は5つある窓口を2箇所は日本人客、残り3箇所は韓国人客と分けてチェックイン手続きを開始し、無事収めた。
この大韓航空の対応はすばらしいと思うと同時につまらぬことで、日本人に噛み付く韓国人のけんか腰の態度にあきれてものが言えない。こと日本人に対しては正常な議論のできない国になっているように思える。
ロシア料理は体調が悪かった精も合って、おいしいものは無かった。もちろん安いツアーでおいしいものを食べようというのが間違っているであろうが・・・・。


2015年07月27日
米露開戦 トム・クランシー、マーク・グリーニー著 新潮社
トム・クランシーの井策ともいえる作品。2013年12月に刊行され、その後ロシアのウクライナ介入が2014年2月以降に起きたから、トム・クランシーの先見の明がここでも発揮された。ウクライナのクリミア半島に対するロシアの介入は情報の世界ではことさら目新しいことではなかったのかもしれないが、未だに解決のめどが立っていない。この小説のロシア大統領はKGBの出身で、KGB出身者が「シロヴィキ」なる集団を形成し、ロシア政界、経済界を牛耳っているというフィクションは、トム・クランシーの創作であろうが、プーチン大統領がKGBの出身であり、ガスプログがエネルギー産業を独占していることとは、符節が合う。利権の温床がその辺りにあることは、容易に想像できる。
トム・クランシーは亡くなったが、マーク・グリーニーが後を継ぐようで、しばらくはこのシリーズを楽しめそうなのは、喜ばしい。
トム・クランシーは亡くなったが、マーク・グリーニーが後を継ぐようで、しばらくはこのシリーズを楽しめそうなのは、喜ばしい。
2015年07月27日
PMFオーケストラ2015演奏会
7月はPMFの季節だ。
今年もBプログラムを聴いた。
7月25日13時よりキタラ大ホール
指揮はアンドリス・ポーガ
プログラムは
ウエーバー作曲 歌劇オベロン序曲
モーツアルト作曲 交響曲第34番
チャイコフスキー作曲交響曲第5番
歯切れのよい指揮で、モーツアルトが新鮮であった。
チャイコフスキーの5番は管楽器が良かった。やはり指導者が入ると、音が違う。
指揮のアンドリス・ポーガは1980年生まれのラトヴィア人。けれんみのない実直な指揮ぶりで、好感が持てる。
マリス・ヤンソンスと同国人、パリ響ではヤルヴィのアシスタントコンダクターであった。彼らの影響を何らかは受けているであろう。
今年もBプログラムを聴いた。
7月25日13時よりキタラ大ホール
指揮はアンドリス・ポーガ
プログラムは
ウエーバー作曲 歌劇オベロン序曲
モーツアルト作曲 交響曲第34番
チャイコフスキー作曲交響曲第5番
歯切れのよい指揮で、モーツアルトが新鮮であった。
チャイコフスキーの5番は管楽器が良かった。やはり指導者が入ると、音が違う。
指揮のアンドリス・ポーガは1980年生まれのラトヴィア人。けれんみのない実直な指揮ぶりで、好感が持てる。
マリス・ヤンソンスと同国人、パリ響ではヤルヴィのアシスタントコンダクターであった。彼らの影響を何らかは受けているであろう。
2015年07月13日
パンデミックを阻止せよ クライブ・カッスラー、P.ケンプレコス 新潮社
クライブ・カッスラーのNUMAフアイルシリーズの最新作。
ある感染症の治療薬を武器にして世界制覇をしようとする悪者グループがいて、それを阻止しようとするカート・オースチンらのNUMA特別出動班の活躍を描く。新型ワクチンがクラゲの一種から抽出された物質によって大量生産されることから、この物質をめぐって悪者グループが暗躍する。
海洋生物の持つ新薬開発の潜在能力に着目したところが、目新しい。
ある感染症の治療薬を武器にして世界制覇をしようとする悪者グループがいて、それを阻止しようとするカート・オースチンらのNUMA特別出動班の活躍を描く。新型ワクチンがクラゲの一種から抽出された物質によって大量生産されることから、この物質をめぐって悪者グループが暗躍する。
海洋生物の持つ新薬開発の潜在能力に着目したところが、目新しい。
2015年07月13日
雪の狼 グレン・ミート著 二見書房
スターリンは実はアメリカの放った暗殺者によって射殺されたという一見ありそうなスパイ小説である。アメリカが水素爆弾の開発でソ連に後れをとり苦し紛れにはなった刺客であるという。この計画はバレバレで、到底成功するとは思えないが、そこは小説、思わぬどんでん返しがあり、成功してしまうのだ。まさにこの小説を読んでいるときにロシア旅行中であったが、車中で見たサンクトペテルブルグとモスクワ間の荒涼とした荒野が舞台であり臨場感があった。
2015年07月13日
第579回札幌交響楽団定期演奏会
マックスポンマーさんが首席指揮者に就任して初の定期演奏会。
彼の指揮は前回も聴いて、堅実な、正当なドイツ音楽を演奏する方と言う印象があったが、今回のプログラムでも、シューマンの交響曲第4番とメンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」という手堅い構成であった。
シューマンの4番の交響曲は、札幌交響楽団の初期の頃の定期演奏会で聴いた記憶がある。演奏歴をみると1964年2月新谷正雄さんが指揮したとある。たしか出したLPも出版されて買った記憶がある。当時の演奏とは比較するべくもないが、懐かしい思い出聴いた。
「讃歌」は初めて聴いたが、合唱に力があって、なかなかのものであった。
彼の指揮は前回も聴いて、堅実な、正当なドイツ音楽を演奏する方と言う印象があったが、今回のプログラムでも、シューマンの交響曲第4番とメンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」という手堅い構成であった。
シューマンの4番の交響曲は、札幌交響楽団の初期の頃の定期演奏会で聴いた記憶がある。演奏歴をみると1964年2月新谷正雄さんが指揮したとある。たしか出したLPも出版されて買った記憶がある。当時の演奏とは比較するべくもないが、懐かしい思い出聴いた。
「讃歌」は初めて聴いたが、合唱に力があって、なかなかのものであった。